民主主義 2019 12 7
民主主義の意義を考える時、
多くの学者は、独裁国家や強権国家と比較しますが、
もうひとつの視点が必要でしょう。
実は、民主主義国の中にも「独裁」があります。
たとえば、会社の社長は、選挙で選ばれていませんので、
会社は、「独裁国家」のようなものでしょう。
もちろん、会社が独裁国家のようになっているのは、
特定の目的を追求する組織だからこそ独裁制になっている面があるでしょう。
一方で、人々の深層心理に独裁制を許す心理があるでしょう。
深層心理に「独裁制のほうが楽だから」という気持ちがあるでしょう。
仮に、選挙で社長を選ぶ制度になったら、
社員の一人一人が、日々、社長のつもりで仕事をしなければなりません。
これは、「一日社長」ならばともかく、
毎日、社長のつもりで仕事をするのは、心理的な負担があります。
もちろん、国家においても、
国民には、このような心理が働くでしょう。
それが、独裁国家や強権国家を生み出す原因になります。
しかし、ケネディ大統領は、就任演説で、
「アメリカ国民よ、国が諸君のために何ができるかを問うのではなく、
諸君が国のために何ができるかを問うてほしい。
世界の友人たちよ。
アメリカが諸君のために何を為すかを問うのではなく、
人類の自由のために、ともに何ができるかを問うてほしい」と演説しました。
(ウィキペディアから引用)
民主主義は、変質しやすいうえに、
維持することも困難を伴うかもしれません。
それでも前進しなければならない。
人類の歴史は、「賢人皇帝」の時代から、
民主主義の時代へ移り変わってきている。
そこに、神の意図を見出すべきです。
確かに、賢人皇帝が国家を運営したほうが効率がよいかもしれません。
しかし、それでは、国民一人一人に進歩も発展もありません。
神は、国民一人一人に進歩や発展を望んでいるということです。